見えているのに、見えていないもの。例えばカラスとか。

コラム

道端を歩いていると、いろんな生き物が普通にいる。
ただ、多くの場合、それは「いるけど見えていないもの」になっている。

例えばカラス。
カラスと一言で言ってしまうが、実際には結構種類がある。
街中にいるカラスの代表種は、ハシブトガラスとハシボソガラスだ。みなさんはカラスを見て、「どっちだろう?」と確認する派でしょうか?
たいてい、どちらも同じ「カラス」として扱われるが、形も行動もかなり違う。

慣れると難しくはない。クチバシの形や歩き方を意識して観察してみると、すぐに見分けられるようになる。

ハトもそうだ。
街でよく見るのはドバトだが、時々、キジバトがいる。こちらも、全然違う生き物だ。
同じ「ハト」として一括りにしてしまうと、見えてこない違いがある。

セミやタンポポも同じだ。
普段の呼び名としては1つでも、その中にはいくつかの種類があり、分布や特徴などが少しずつ違っている。

この辺り、ちゃんと説明しだすとめちゃくちゃ長くなってしまうので、興味を抱いた方は後で調べてみてほしい。

さて、こういうことに一度気づくと、見えている世界が少し変わる。
同じ「それ」に見えていたものの中に、違いがあることに気づく。

そして面白いのは、その違いは最初からそこにあったということだ。
ただ、気にしていなかっただけで、ずっと存在していた。

興味を持って見ている人は、そこにさらに情報を重ねていく。
生態、地域性、季節、その場の行動の違いとか。
そういうことを知識として得て改めて生き物を見てみると、同じ景色でも得られる情報量はまったく違ってくる。専門家が、素人とは桁違いの情報をもって観察していることは言わずもがなだろう。

一方で、気にしていない人にとっては、それはずっと「同じもの」のままだ。

銘柄も、少し似ている気がする。

同じ業種に見える会社、同じテーマに入っているように見える企業。
あるいは「この会社とこの会社は似ている」と語られることもある。

ただ、その中身を少し丁寧に見ていくと、思っているより違っていることもある。
事業の重心、収益構造、成長の仕方、前提としている市場とか。

それらは、外から見ているだけでは見えにくいかもしれない。

そしてその違いが、その後の動きに影響していくこともある。

「同じように見えるもの」の中にある差を、どこまで見るのか。
あるいは、どこから先は見ようとしていないのか。

道端のカラスを見ながら、そんなことを少し考えた。

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